大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)2483号 判決 1960年7月30日
原告 並川ヨシ子 外二名
被告 近畿日本鉄道株式会社
主文
原告鬼頭俊夫の訴を却下する。
被告が昭和二五年一〇月二九日原告並川ヨシ子、同稲毛結に対してなした解雇は無効であることを確認する。
被告は、原告並川ヨシ子、同稲毛結に対し、昭和二五年一〇月三〇日以降昭和三五年五月二六日迄、いずれも別紙賃金表記載の割合による金員を支払え。
訴訟費用中原告鬼頭俊夫と被告との間に生じた分は同原告、その余は被告の負担とする。
この判決の第三項は、無担保で仮に執行することができる。
事実
原告等訴訟代理人は「被告が原告等に対し、昭和二五年一〇月二九日附をもつてなした解雇の意思表示は無効であることを確認する。被告は原告等に対し、昭和二五年一〇月三〇日以降昭和三五年五月二六日まで別紙賃金表記載の割合の金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
第一、原告等は、いずれも被告会社の従業員で、且つ、右従業員をもつて組織する近畿日本鉄道労働組合(以下組合と略称する)の組合員であるが、被告は昭和二五年一〇月二三日原告等に対し、同月二八日迄に退職を申出でるよう勧告すると共に、右勧告に応じない場合は同月二九日付をもつて解雇する旨の条件付解雇の意思表示をなし、原告等が右勧告に応じなかつたので結局、同月二九日限り解雇したものとして従業員としての待遇を差止めた。
第二、然し乍ら、右解雇は左記の理由によつて無効である。
一、労働協約の解雇協議約款に違反する。
(一) 原告等の所属する組合と被告会社との間の昭和二五年当時の労働協約(以下本件協約と称する)は、その第一〇条において、社員服務規定による懲戒解雇に該当するとき、成績不良で成業の見込がないとき、不具廃疾で職務に耐えないとき、の各場合解雇を行おうとするときは組合と協議して決定する旨定めており、第一一条所定の場合(本人の希望によるとき、業務上の過失以外で刑罰に処せられたとき、長期に亘る無届欠勤のあつたとき、停年に達したとき)にのみ協議を経ない解雇を認めている。
(二) 昭和二五年一〇月二一日、同月二五日の二回にわたり、組合と被告との間で経営協議会が開かれ、その席上、被告側から、被告会社の重大な社会的使命に鑑み、事業を破壊より護り、その正常な運営を確保するため、破壊的な言動をなし、或は他の社員を煽動し、徒に事端を繁くし、又はこれらを企画する等法の権威を無視し、業務秩序をみだし業務の円滑な運営を阻害する非協力者、又は事業の公共性に自覚を欠く者、及びその同調者を企業より排除したい旨の申出があつた。そこで、組合側は基本方針だけでは分らないから、解雇対象者各個人について具体的な根拠を示さない限り承認できないと回答し、右被告側の態度が前記協約の解雇協議約款といかなる関係に立つものであるかを質したところ、被告側は、今回の措置は企業防衛上やむを得ないものであつて、協約の精神に則り協議するものであるから、組合においてもこれを了解してほしいというのみで意見対立のまま右協議会は打切られた。
(三) このように、協議会において、被告側から示された解雇基準は極めて抽象的であつて、その基準自体の解釈についても、又基準該当事由の有無についても紛議を生ずる余地が多分にある性質のもので、解雇事由の相当性からいつても、本件協約第一〇条所定の事由より重大な事由とは考えられないから、本件解雇についても当然右協約第一〇条が類推適用せられるべきである。
(四) そして、およそ労働協約の解雇協議約款には、(イ)個々の労働者の解雇について協議することを要する約款と、(ロ)解雇基準についてのみ協議を要する約款の二種類があるが、本件の場合は協約の文言からしても、前記協約第一〇条の約款と同様、右(イ)の約款であることは明らかである。従つて、(二)において述べた如く、被告側は協議会の席上、その基準に該当する具体的解雇事由も、被解雇者の氏名も示さなかつたのであるから、本件解雇は労働協約第一〇条に違反する無効のものである。
(五) また、解雇協議約款に所謂協議とは、一方的申渡しではなく、当事者双方の間で何らか妥協点を見出すべく努力を重ねることが必要であり、前述の如き被告の態度はその意味で協議とはいい難く、この点においても本件協約に違反している。
二、解雇基準該当事由がない。
被告は、原告等が前記解雇基準に該当するとして解雇したのであるが、原告等は誠実に勤務に精励して来たものであつて、正当な組合活動として許された範囲を超えて些かも企業破壊的活動をしたことはない。従つて、原告等は被告のいう解雇基準には該当しないから、この点でも本件解雇の効力はない。
三、信条による差別待遇である。
本件解雇は、所謂レツド・パーヂであつて、原告等が日本共産党員若くはその同調者であるということのみを理由とするものであり、労働者の信条を理由として差別的取扱をしたものであるから、労働基準法第三条に違反し無効である。所謂レツド・パーヂなる解雇が、マツクアーサー書簡に基く超憲法、超労働法規的なものであるとする見解の誤つていることは、既に多くの学説判例の認めるところである。
以上、何れの点よりするも、本件解雇は無効であり、原告等は被告会社の従業員たるの地位を有するに拘らず、被告は原告等の就業を拒否し、別紙賃金表記載の如き賃金を支払わないから、被告に対し、本件解雇が無効であることの確認と、昭和二五年一〇月三〇日以降本訴口頭弁論終結の日たる昭和三五年五月二六日迄別紙賃金表記載の割合による賃金の支払を求めるため本訴に及んだものである、と述べ、
昭和二八年一〇月二五日原告鬼頭を懲戒解雇したとの被告主張は否認する、と述べた。(立証省略)
被告訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに被告の主張として次のとおり述べた。
第一、原告主張事実中、原告等が被告会社の従業員で、且つ、被告会社従業員により組織されている近畿日本鉄道労働組合の組合員であること、昭和二五年一〇月二三日被告が原告等に対し同月二八日迄に退職を申出でるよう勧告すると共に、右勧告に応じない場合は、同月二九日付をもつて解雇する旨の条件附解雇の意思表示をなしたこと、被告が同日限り原告等を解雇したものとして従業員としての待遇を差止めたことはいずれも認める。
第二、然し乍ら、右解雇については、左記の理由により、原告等主張の如き無効原因は存しない。
一、労働協約の解雇協議約款に違反していない。
(一) 連合国最高司令官マツクアーサーの昭和二五年五月三日付声明、及びその後相次いで発せられた内閣総理大臣宛書簡(所謂マツクアーサー書簡)の趣旨は、当時の国際及び国内情勢の下における占領政策を示し、この占領政策を達成するために必要な措置として、公共的報道機関その他の重要産業の経営者に対し、その企業のうちから共産主義者又はその支持者を排斥すべきことを要請した指示であつて、仮りに基幹産業経営者に対する直接の指示、命令ではないとしても、その経過、内容に鑑み、右は当時発せられた他の勧告、声明等と共に一体として、連合軍最高司令官の占領政策を具体化して明示したもので、占領下の日本国民はかゝる一般に明示された占領政策を尊重して協力すべき義務を負担していたものであつて、現に、右声明並びに書簡に引き続いて、昭和二五年九月二五日連合国総司令部労働課長エーミスは、私鉄の労使代表に対して、私鉄企業よりの共産主義的破壊分子の排除を同年一〇月中に完了すべき旨示唆するところがあつた。そして、占領下においては、日本国民はかかる連合国最高司令官の発する一切の命令指示に服従し、又は占領政策に協力する義務を有していたものであり、この義務は全ての国内法に優先する超憲法的、超労働法的なものである。本件解雇は、このような連合国最高司令官の書簡に基礎をおき、右書簡の命ずるところに従つて企業防衛の立場から行なわれたものであるから、労働協約に拘束されることなく、従つて解雇についての協議の有無も問題にならない。
(二) 本件解雇は、(一)において述べた如き切迫した客観状勢の下にあつて、公益事業としての企業防衛の見地から「破壊的言動をなし、或いは他の従業員を煽動し、若しくは徒らに事端を繁くする等法の権威を無視し、業務秩序を紊り、業務の円滑な運営を阻害するが如き非協力者、又は事業の公共性に自覚を欠く者」なる解雇基準を定め、その該当者として原告等を解雇したものである。ところで、労働協約は企業の存立を前提とするから、企業そのものを破壊する者又は破壊するおそれある者を排除することは、協約を顧慮することなく当然なし得ることがらである。従つて、本件解雇は労働協約以前の問題であつて、これに拘束されるものではない。
(三) 本件協約第一〇、一一条に原告等主張の如き定めのあることは争わないが、これは本来十全たるべき解雇権について、特に右協約条項に定める場合に限り組合の発言権を制限的に認めたもので、当事者間においては、被告会社の解雇権は右条項所定の場合に限定されるのではなく、会社の都合上止むを得ない事情により解雇を行う所謂都合解雇(例えば、企業合理化のための人員整理)は当然組合として承認していたものであり、しかも、そのような場合に本件協約第一〇条を類推適用する余地はなく、被告は人事権の行使として組合と何ら協議することなく解雇を行ない得るものである。そして、本件解雇は、前述の如き基準によつたものであるから、将に右の「止むを得ない解雇」に該当し、従つて協約違反の問題は生じない。
(四) 仮に本件解雇については本件協約第一〇条の類推適用を認むべきであるとしても、昭和二二年一二月二〇日本件協約成立の当初から、当事者間において、およそ被告会社の人事権行使については、その一般的基準のみについて組合と協議するが、個々の人事については被告に一任する旨の協約外の合意が成立していた。この点について明文の定めのないのは、当時私鉄総連結成後最初の協約斗争の最中であり、明文化することは、上部団体や他の組合に対する関係上避けたいとの組合の意向によつたもので、口頭による確認を交わしている。その証拠に、本件協約以後の第三乃至第六回協約にはいずれも解雇の基準について協議する旨を明記している。従つて、本件解雇に協議約款の拘束ありとしても、個々の解雇該当者の具体的解雇事由まで協議の対象とすることは要求されない。そして、被告は本件解雇を行うに先立ち、昭和二五年一〇月二一日経営協議会を開き、その席上、組合代表者に対し前述の解雇基準を説明すると共に、整理人員並びに方法及び被解雇者の退職処遇を提示し、その諒解を求め、更に同月二五日再度協議会を開いて協議を重ねたのであるが、(この間同月二三日、被告は原告等に退職勧告書を手交している。)組合側は解雇該当者各人についての具体的な基準該当事由を明らかにすべきことを要求し、被告側がそれは本問題を却つて紛糾せしめる結果になるとの理由で拒否したところ、組合側から右協議会の打切りを宣言するに至つたものである。以上の経過からみても、被告は本件協約上の協議を尽しており、協約に違反するところはない。
(五) 被告は、右に述べたところによつても明らかな如く、協約の趣旨に副う協議を尽しており、却つて組合側において自ら協議会の打切りを宣言するに至つたものであるから、寧ろ、組合は協議参加の権利を放棄したもの又は同意拒絶権を濫用したものというべきである。
(六) 仮に本件解雇が、協議約款に違反しているとしても、それは、組合に対する使用者たる被告会社の責任を生ずる余地あるに止まり、解雇そのものの効力には影響がない。何となれば、解雇について組合と協議するか否かということは、労働者の待遇には関係してもその基準とは解せられず、従つてかかる約款に所謂規範的効力を認めることは疑問だからである。
二、原告等には解雇基準該当事由がある。
(一) 本件解雇の社会的背景として、当時日本共産党は戦後の混乱した社会経済情勢を足場に勢力を伸長し、労働組合内部に浸透して活発な活動を行ない、組合運動を労働者階級独裁による社会主義国家の樹立という自己の政治的目的達成の手段に利用せんとするに至り、かかる目的を帯びた党員は、重要産業の中に所謂経営細胞を組織し、同調者を募り、企業秩序の攪乱を図りつつ暴力的方法による革命達成の一翼を担うべき使命を有していた。社会全体のかかる不穏な状勢に加えて、被告会社内においても当時運輸交通事業の安全性自体に重大な危害を与えるような事件が引続き発生している。即ち、昭和二四年三月八日には宇治山田駅発中川行電車の後部車両より発火、これを全焼する事故があり、同年一二月三一日には小阪駅発上本町駅行列車の最後部車両が分離するという事件があつた。そして、これらの事故は被告及び関係官庁の調査によれば、いずれも故意による列車妨害と断定せざるを得ず、日本共産党近鉄細胞の作為によるものではないかとの当局の推定がなされている有様である。
(二) 本件解雇当時、原告等はいずれも日本共産党(以下党と称する)の党員として頗る積極的活動を行つていたが個別的にみると、例えば次のとおり、被告の事業の正常円滑な運営を阻害する行為に出たものである。
即ち、原告並川は、昭和二四年一〇月一五日から党近鉄高安細胞の構成員として指導的役割を果し、
(イ) 昭和二三年八月から昭和二五年七月まで、私鉄関西地方連合会婦人部長として同連合会に常駐し、その間党員と連絡して党勢の拡張に努めると共に近鉄内婦人部に対する赤化活動を活発に行なつた。
(ロ) 昭和二四年五月以降党機関において開催された各種委員会で指導的役割を演じ、その間組合の賃上げ要求等の機会を捕えて、従業員に破壊的共産主義思想を宣伝し職場の煽動を行つた。
(ハ) 昭和二五年三月一五日、近鉄百貨店において、配置転換された女子職員に対し、その理由に関し虚偽の事実を伝えこれを煽動し勤労意慾を低下させた。
(ニ) 昭和二五年六月四日、下田駅及び高安列車区内において「労働強化と首切を狙う長区長会云々」と題するビラを配布し、その中で「最近の職場は一段と強化された。時間外勤務においては居残れば個人的能力がないと言われ、更にこんな仕事に居残らねば出来ないようなことは入社のときの契約書と違うといつて首切に脅され云々」等事実を歪曲し、被告を誹謗して職場を煽動した。
(ホ) 同年八月中旬、関西地連婦人部長を辞任して専従員でなくなつたのに、職務時間中無断で自己の職場を離れ、組合事務所に行き職場秩序を甚だしく紊したことが屡々あつた。
(ヘ) 同年九月二〇日、勤務時間中会社施設内において、予想される人員整理を妨害するため、一般組合員を煽動し、正当な組合運動の如く装うべきことを謀議した。
(ト) 昭和二五年一〇月一九日、配置転換反対並びに職階給の不平を叫び、組合婦人部長の名をもつて婦人部同志を糾合し、職場における不平不満を高揚し、党員を獲得せんとして種々謀議した。
(チ) 同年中旬頃、被告会社布施変電所附近の路線爆破の指令を受けていることを他に漏した。
原告稲毛は、昭和二五年三月一三日から党奈良細胞責任者として指導的役割を果し、被告会社の内外において積極的に活動していたものであつて、
(イ) 右責任者として在職中、奈良県下における党会議に屡々出席し、党員を指揮して、革命的エネルギー結集のため、共産主義思想に立つた政治目標を与え党勢拡張に努力した。
(ロ) 昭和二五年四月一三日、被告会社奈良線橿原線の各駅において、党奈良地区委員会発行の「パンチ」と題する号外を配布し、その中で被告の関知せぬ事実を捏造し、当時の賃上斗争が単位組合において妥結されることを阻害し、紛争長期化の煽動をなし、正常な労使交渉を困難ならしめた。
(ハ) 同月一四日、橿原神宮建国会館における組合大会に際して、会場附近で「時間外賃金を深夜手当でごまかす会社側」「働いても賃金はやらぬという近鉄」等の記事を記載したビラを撒布して虚偽の事実を流布し、従業員の勤務意慾の動揺をはかつた。
(ニ) 同年五月一〇日勤務時間中に、奈良市内及び奈良、西大寺、小阪方面各駅において、党奈良県委員会機関紙を配布し、党公認参議院議員候補者の応援を行い政治活動に従事した。
原告鬼頭は、昭和二四年一〇月一五日から党近鉄古市細胞の責任者兼会計主任として党活動に従事し、
(イ) 昭和二四年四月頃から昭和二五年初頭にかけて屡々党委員会に被告会社内党員グループ代表として出席し、社内における破壊的党活動の謀議の首謀者となつた。
(ロ) 同年九月二五日党近鉄古市細胞機関紙「南大阪線」を発行し、その責任者として事実を歪曲した記事を掲載し、勤務時間中これを従業員に配布した。
(ハ) 昭和二五年二月古市町町会議員選挙に際し、党公認立候補者の応援活動を行つた。
(ニ) 昭和二四年五月一八日、被告会社施設内において、無断で細胞会議を開き、社内の党活動を一層活発化することの必要を謀議した。
(ホ) 同年六月一日、南大阪線第一号踏切附近の柵に、大阪市内における貯炭量に関し、今にも火災を起さんとしている等虚偽の事実を記載したビラを貼付し、不安醸成を図つた。
(ヘ) 同年七月二二日、党南大阪線細胞機関紙「モーター」を発行、その責任者として、労働強化について誇張した記事を掲載し、これを職場に配布して従業員を煽動した。
(ト) 同年八月、職場において、同月一日からダイヤ改正に関し、それが労働強化をもたらすものであるとの虚偽の宣伝を行い、職場秩序の攪乱を行つた。
(チ) 同年九月二五日、前記機関紙「南大阪線」を古市検車区同列車区、原神宮駅列車扱室、阿倍野橋乗務員詰所等において、従業員に配布し、共産党思想の普及並びに従業員の煽動を図つた。
(リ) 同年一〇月から翌二五年一月にかけて、古市検車区を中心に各職場において、税金年末調整につき全額会社負担を説き、或は府県税の過重を誇大に宣伝した記事を掲載した機関紙「南大阪線」を五回に亘り撒布し、職場秩序の攪乱に努力した。
(ヌ) 昭和二五年三月勤務時間中に、被告会社従業員に対し、個々面接により入党の勧誘を行つた。
(ル) 同年五月二〇日、前記機関紙「南大阪線」を職場に配布し、新築の工場に雨が漏る等虚偽の事実を宣伝し、職場秩序の攪乱を企図した。
(ヲ) 同年七月二八日、「警官隊昆棒で大暴れ」なる記載のあるビラを職場に撒布し、警官を誹謗し、職場の不安を醸成せんとした。
(ワ) 同年七月「南大阪線」は発行停止を命ぜられたが、同年九月これに代り新に「斗争資料」なる文書を発行配布し地方税、住民税に対する反感を醸成し、反税運動を行う一方「配分方式の変るたびに賃金が下る」等事実に反する記事を掲げて従業員の勤労意慾の低下、職場秩序の攪乱を図つた。
(カ) 同年一〇月一二日及び一四日の両日、「赤追放の後に戦争がある。」「近鉄の若い者は嫁さんも貰えん。」等虚偽の煽動的な記事を掲載した右「斗争資料」を自己の職場、八戸ノ里列車区及び古市駅において撒布した。
(ヨ) 同月一九日、勤務時間中に、住民税反対、再軍備反対等煽動的な記事に満ちた党発行のビラを職場に配布し、従業員を煽動した。
三、信条による差別待遇をしたものではない。
本件解雇は、原告等において、前記のとおり被告の定めた解雇基準に該当する行為があつたから解雇したものであつて、原告等が共産主義者であることのみを理由として解雇したものではない。
第三、原告鬼頭については、大阪地方裁判所昭和二六年(ヨ)第三六八号仮処分申請事件において、同人を被告会社の従業員として取扱うべき旨の決定があつたので、被告はこれに従い、同人に対し、数次に亘り出社を命じたにも拘らずこれに応じなかつた。そこで被告は右不出頭の所為を以て、就業規程第八二条第一二号に該当するものとして、昭和二八年一〇月二五日同人を懲戒解雇した。
従つて、原告等は昭和二五年一〇月二九日以降被告会社の従業員たる地位を失つたものであり、原告鬼頭については、仮に同日付の解雇が認められないとしても、昭和二八年一〇月二五日以降従業員たる地位を有しないものであると述べた。(立証省略)
理由
第一、原告鬼頭の訴について
原告鬼頭は、昭和三五年六月一一日、当裁判所裁判長のなした不足印紙を貼用すべき旨の訴状補正命令の送達を受けたにも拘らず右命令に定めた一四日の期間内に不足印紙の貼用をしない。従つて、かかる不適式な訴状による原告鬼頭の本件訴は全部不適法なものであるから却下を免れない。
よつて以下原告並川、同稲毛の請求について審査する。
第二、当事者間に争のない事実
被告会社が、昭和二五年一〇月二三日、その従業員たる原告等に対し、同月二八日迄に退職を申出るよう勧告すると共に、右勧告に応じない場合は、同月二九日付をもつて解雇する旨の条件附解雇の意思表示をなしたこと、原告等が右勧告に応じなかつたので被告が原告等を同月二九日限り解雇したものとして従業員としての待遇を差止めたことは当事者間に争がない。
第三、本件解雇の効力
そこで、本件解雇が、協約の解雇協議約款に違反しているか否かについて検討して行くこととする。
一、本件解雇と所謂マツクアーサー書簡との関係について
連合国最高司令官マツクアーサーが、昭和二五年五月三日日本国憲法の三周年記念日に際して声明を発表し、更にこれに続いて同年六月六日、同月七日、同月二六日、同年七月一八日の四回に亘つて内閣総理大臣宛の書簡を発したことは、当裁判所に顕著な事実である。そこで、右一連の書簡の趣旨について考えてみるに、昭和二五年五月三日付声明は、日本共産党が公然と国外からの支配に屈服し、日本国民の利益に反するような運動方針を採用していることを非難し、「現在日本が急速に解決を迫られている問題は、全世界の他の諸国と同様、この反社会的勢力をどのような方法で国内的に処理し個人の自由の合法的行使を阻害せずに国家の福祉を危くするこうした自由の濫用を阻止するかにある。」「今後起る事件がこの種の陰険な攻撃の破壊的潜在性に対して公共の福祉を守りとおすために日本において断乎たる措置を取る必要を予測させるようなものであれば、日本国民は、憲法の尊厳を失墜することなく、叡知と沈着と正義とをもつて、これに対処することを固く信じて疑わない。」と述べているのであつてその限りにおいて、この書簡は当時の共産主義運動に対する日本国民の心構えについて警告したに過ぎないものと解せられ、日本国民を具体的に拘束するような法規範としての性質を到底認めることはできない。次に、同年六月六日付書簡は日本国民の間における民主主義的傾向の強化に対する一切の障害を除去することがポツダム宣言の基本方針であることを説き、「代議政治による民主主義の線に沿つて日本が著るしい進歩を遂げているのを阻止し、日本国民の間に急速に成立しつつある民主主義的傾向を破壊するための手段として真理をゆがめることと、大衆の暴力行為をたきつけることによつて、この平和で静穏な国土を無秩序と斗争の場に転化しようとしている」勢力のあることを指摘し、かかる見地から、日本共産党の中央委員の公職からの追放を明らかにしたものであつて、党幹部の追放に法的根拠を与えたものとしても、これをもつて日本の国家機関並びに一般国民に対し、全ての共産党員又はその同調者の追放をも義務づける法規範を設定したものと解することは困難といわざるを得ない。更に、同年六月七日付書簡についてみると、自由且つ責任ある言論の発達を奨励し援助することが基本的な占領政策の一つであることを明らかにすると共に、当時の共産党機関紙アカハタが「共産党内部の最も過激な不法分子の送話管を演じて来ており、官憲に対する反抗を挑発し、経済復興の進展を破壊し、社会不安と大衆の暴力を生ぜしめるために、無責任な、感情に対する勝手で虚偽に満ち、煽動的反抗的な呼びかけを掲載して来た」として、アカハタの編集担当責任者数名の追放を指令したものであり、また、同年六月二六日付書簡は、前記書簡の発表後も、アカハタが依然煽動的な行動を続けたとして、これに対し、三〇日間の発行停止の処分をなしたものであつて、いずれも直接にはアカハタ及びその後継紙並びに同類紙を対象としており、拡張して解釈するとしても公共的報道機関一般についてはさておき、それ以外に一般私企業をもその対象としているものとは解せられない。最後に、同年七月一八日付書簡についてみると、これは、我国の報道関係企業における所謂レツドパーヂの法的根拠を提供したものとして極めて重要な書簡であるが、これによれば、「日本共産党の公然と連繋している国際勢力が、民主主義社会における平和の維持と法の支配の尊厳に対して更に陰険な脅威を与えるに至り」「かかる情勢下においては、日本においてこれを信奉する少数者が、かかる目的のために宣伝を播布するため公的報道機関を自由且無制限に使用することは、新聞の自由の概念の悪用であり、これを許すことは、公的責任に忠実な日本の報道機関の大部分のものを危険に陥れ、且つ一般国民の福祉を危くするものであることが明らかとなつた。現在自由な世界の諸力を結集しつつある偉大な闘いにおいては、総ての分野のものはこれに伴う責任を分担し、且つ誠実に遂行しなければならない。かかる責任の中公共的報道機関が担う責任程大きなものはない」「現実の諸事件は、共産主義者が公共の報道機関を利用して、破壊的暴力的綱領を宣伝し、無責任、不法の少数分子を煽動して法に背き、秩序を乱し、公共の福祉を損わしめる危険が明白なことを警告している。それ故、日本において共産主義者が言論の自由を濫用してかかる無秩序への煽動を続ける限り、彼等に公共的報道機関の自由を使用させることは、公共の利益のために拒否されねばならない。」とあつて、直接的にアカハタ及びその後継紙並びに同類紙の発行に対し課せられた前記の停刊措置を無期限に継続することを指令すると共に、裏面において共産主義者の公的報道の自由の使用拒否を要請しているのであるが、このうち「総ての分野のもの」の「責任」への言及は、その対象が極めて漠然としており、説示の内容よりしても、単に窮極的に報道機関の持つ責任を抽出するための前提的乃至前置的説示とみるべく、これを特に日本国民又は日本重要産業(この概念自体いかなる範囲の産業を指称するものか極めて不明瞭である)の経営者に対する連合国最高司令官の法的要請と解釈せざるを得ない根拠なるものは全く薄弱であつて、到底かく解することはできない。そして、右一連の書簡の外に、当時、連合国最高司令官から、公共的報道機関のみならずその他の重要産業の経営者に対しても共産主義者又はその同調者を排斥すべきことを直接に要請した指示、又は、右各書簡が重要産業をも含めて解せられるべきである旨の別途の解釈指示の如きものがなされたことを認めるに足る証拠は何もなく、裁判所に顕著でもない。又被告主張の如き単なる占領者の占領政策がそのまゝ超国内法規的拘束力を持つ根拠も認めることはできない。そして総司令官の下部機関たる総司令部労働課長の要請(いわゆるエーミス談話)なるものが、被告主張のような指示の解釈を事実上推進するに力があつたとしても、これが本件解雇に法的基礎を与えるものでないことはもちろんである。従つて、この点に関する被告の主張は採用することができない。
二、企業防衛措置としての解雇と協約との関係について
被告は、協約は企業の存立を前提とするから、企業防衛措置としての解雇は協約の拘束を受けないと主張するけれども、協約が企業の存立を前提とするという意味は、協約が企業なくしては考えられないとの意味以上に解することは困難であつて、かかる命題から企業防衛なるものに特段の価値を賦与し、これを協約の拘束から超越せしめることを是認し得るが如き結論は生じ得ないものである。また、被告の所謂企業そのものの破壊行為も、これを客観的行為として捉えるときは、通常の破壊行為に比して全く異質的なものとも考えられず、従つて、これを特に別格のものとして協約の覊絆より脱せしめる理由を見出すことは困難であり、況や法律的見地からはかかる破壊行為を協約外のものとする根拠を全く発見し得ないのである。そして、ある企業内に真に企業破壊者が存するならば、その者の行為は企業にとつて有害なことは論をまたないから、もとより懲戒に価するものというべく、正規の懲戒手続を経るにおいては、協約の適用下においてもかかる破壊者を企業から排除し得る途を拓いているのが通常であり、本件においても、成立に争のない乙第七四号証及び証人富和宗一、同田中有道の各証言によれば、一、職務上の義務に違反し又は職務を怠つたとき、二、規則令達に違反したとき、三、会社の機密を漏洩したとき、四、会社の信用を害し又は体面を汚す如き行為のあつたとき、五、会社の内外を問わず風紀秩序を紊す如き行為のあつたとき、六、無届で又は正当な理由なく欠勤したとき、七、他人を教唆して事業経営の妨げとなるが如き行為をしたとき、八、その他職務上不都合な行為のあつたときには、いずれも懲戒解雇をなし得る途が拓かれていたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。してみれば、被告の所謂企業防衛に事欠くはずはなく、従つて被告主張のような独自の理論を構成適用する必要をみない。以上の理由により被告のこの点に関する主張は採用しない。
三、本件解雇と協約との関係について
本件解雇当時、被告会社と組合との間に存した労働協約第一〇、一一条に、原告等主張のような定めのあつたこと、本件解雇が行われるに先立ち、昭和二五年一〇月二一日被告会社組合間において第一回経営協議会が開かれ、その席上、被告側から「破壊的言動をなし或いは他の従業員を煽動し、若しくは徒らに事端を繁くする等法の権威を無視し、業務秩序を紊り、業務の円滑な運営を阻害するが如き非協力者、又は事業の公共性に自覚を欠く者を対象とする」旨の一般的解雇基準を発表したこと、これに対し、組合側が各個人について具体的に解雇事由を明らかにするよう要求したこと、越えて同月二五日再度経営協議会が開かれたが、結局右具体的事由は明らかにされることなく議事が打切られたこと(当事者の何れから打切つたかは暫く措く)は当事者間に争がない。従つて本件解雇の事由は、協約第一一条の各号に該当しないことは明らかであるとともに、他方、第一〇条に列挙された事由にも直接には当らないようにみえる。そこで、被告において、被告会社、組合間で本件協約が締結された際に、その所定の場合以外にも所謂会社の都合解雇を認める趣旨であつた旨主張するので、考えてみるに、成立に争のない乙第一号証、第七三号証に証人富和宗一(第一、二回)同田中有道の各証言を綜合すれば、昭和二一年九月二三日被告会社、組合間において初めて成立した労働協約第五条には、「会社は経営協議会に諮らずに業務の都合に依る社員の解雇を行なわない」旨規定されていて、これを裏面からいえば、所定の手続を経る以上例えば企業合理化等の必要に基く多数者の解雇の場合を会社の所謂都合解雇として認めており、右協約が、昭和二二年一二月二〇日改訂されて本件協約に引き継がれたのであるが、その際組合側の要求によつて、協約所定の解雇事由としては第一〇、一一条の如く定め、右の所謂都合解雇について明文化することはとり止め、ただ会社の都合上解雇せざるを得ない場合には、組合において別に相談に応ずるという了解が成立していたことを認めることができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。そこで、右の場合には協約の拘束なく、被告会社は人事権の行使として全く自由に解雇し得るとの被告主張についてみるに、本件全証拠を以てしても、右主張を根拠あらしめる事情を見出すことできず、却つて、前掲乙第一号証、第七三号証及び証人田中有道の証言によれば、被告会社、組合間に第一回の労働協約が成立した当初から、およそ被告が解雇権を行使する場合には、少くとも諮問手続の履践が要求されており、これが本件協約へ引き継がれるときに、協議手続に改められたものであることが認められる。右事実よりすれば、当事者の意思としても被告の全く自由な解雇権の行使は認めない趣旨であつたことが認められるのみならず客観的に前記の本件解雇の基準とされているところをみても非常に抽象的であつて、一見してその真意を捕捉し難く、基準そのものの解釈としても、又基準に該当する事由の存否の判定についても当然紛議を生ずる余地のある性質のものである上、解雇事由の相当性の点より見るも、協約第一〇条所定の事由に比し軽微であるとの評価は可能であるが、決してこれより重大であるとは考えられない。従つて本件解雇が、協約所定の場合に直接該当しないとの一事を以て、これを協約の覊絆から完全に解放したものとするが如き見解は採用できず、結局本件解雇については協約第一〇条の類推適用あるものというべきである。
四、本件協議約款の協議対象について
被告は、本件協約の当事者間において、一般的な解雇基準のみについて協議する旨の合意が成立していたと主張するが、これに符合する証人富和宗一(第一、二回)同田中有道の証言は、後に認定する事実に徴したやすく信用することができず成立に争のない乙第二号証及び証人牧戸嘉七の証言によつては未だ右被告主張事実を証するに足らず、他にこれを認むべき証拠はない。かえつて、各成立に争のない甲第四号証の一、二及び乙第七二号証の一、二によれば、昭和二五年一〇月二一日及び同月二五日の二回に亘る経営協議会の席上、組合が被告会社代表者に対し、再三個別的に解雇事由を明らかにするよう要求したところ、これに対し、被告側は終始一貫本件解雇は緊急の措置であつて、会社としても慎重に行なつたのであるから、会社の意のあるところを了解してほしい、或いは会社の気持を汲みとつてほしい等の回答をするのみで、組合側から本件協約第一〇条との関係を質問されたのに対し、「協約の条項についてというより、企業防衛の見地から協約の精神に従つて協議しているので、協約のどの条項に該当するかしないかではない」と述べていることが認められ、被告主張の特段の合意を理由として個別的解雇事由の発表を拒否した事跡は何ら存しない。右認定の事実よりすれば、本件協約成立の当初から、被告主張のような合意が成立していたものとは到底認め難いところである。そして他に被告主張の合意を認めるに足る証拠はない。してみれば、本件解雇に関する経営協議会において、被告が解雇該当者の氏名も、その具体的な基準該当事由(それは同時に不明確な基準の具体的説明にも該当する)をも説明しなかつたことは当事者間に争がないから、結局、本件解雇は、使用者たる被告会社において協議の前提たる説明義務を尽さず、結局協議を経ずして為されたものと認めるの外はなく前掲協約第一〇条の解雇協議約款に違反した行為といわざるを得ない。
五、協議参加の権利の放棄又は同意拒絶権の濫用について
成立に争のない甲第四号証の二、及び乙第七二号証の二によれば、組合側が経営協議会の打切りを宣言したことを認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。然し乍ら、成立に争のない甲第四号証の一、二、及び乙第七二号証の一、二に証人牧戸嘉七、同北村富蔵の各証言を綜合すると、二回に亘る経営協議会を通じ、被告会社は、前掲の一般的解雇基準の外、整理人員並びに方法及び被解雇者の退職処遇について提示したのみで、基準該当の具体的事由については遂に説明を与えず、右一般的、抽象的基準のみの討議に限定して、これに対する組合の了解を求め、しかも、その態度は、被告のとつた措置をそのまま承認するよう繰り返すことに終始し、組合側としては、殆んど論議を進め得る見込みがなかつたことが認められる。もつとも、証人富和宗一(第一回)同牧戸嘉七の各証言によれば、第一回協議会の後である昭和二五年一〇月二三日に、原告等に本件解雇通告書が交付されるとともに、組合執行委員長及び組織部長に対して、被告会社からその旨の通知のあつたことは認められるが、この事実をもつてしても、右認定を左右するに足らず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
本件協約の趣旨に則つた組合の要求に対するかかる被告会社の態度からみると、組合が経営協議会の打切りを宣言したことは、全く止むを得ない措置といわざるを得ず、寧ろ被告の協議義務の不履行が問題とされても、被告主張の如く、組合が協議参加の権利を放棄し、又は同意拒絶権を濫用したものということはできない。
六、解雇協議約款違反の効果について
被告は、解雇協議約款は労働者の待遇に関する「基準」と解せられないから、これに違反しても解雇自体の効力には影響がないと主張するけれども、元来かかる約款は、解雇が労働者にとつて、その労働契約関係を終了せしめるという意味において、最大の待遇の変更であることに鑑み、これを使用者の一方的な権利の行使に委ねることなく、いわば労使の共同決定(この点でいわゆる経営参加の面を持つ)の方法に委ねることによつて、使用者の権利行使を制約(この点でいわゆる労使間の個別的権利関係の変更の作用を営む)し、以つて労働者の地位の強化を図ろうとするところにその存在理由があるものと解せられ、いわば使用者と労働者の双方の権利の接触点に該当し、その主旨は、通常の基準の定立、適用によつては解雇の具体的妥当性が必ずしも保証し難いとした場合に、ある種の解雇の一般的要件として、その具体的事例につきその都度協議による臨機適切な具体的基準の設定ないしその適用を計ろうとするもので、通常の基準に代置される解雇要件として、通常の基準同様の制約的作用を営み、その意味において、個々の労働者の解雇の条件をなし、解雇に関する法律要件として優に個々の労働契約内容たり得べきもので、この意味において労働条件の一つの類型を示すものであるから、協約の規範的効力を持ちこの解雇要件を充足しない以上解雇が無効たるべきはいう迄もない。
以上順次検討した如く、被告のなした本件解雇は、原告等主張のその他の無効原因について判断する迄もなく、労働協約に違反した無効のものであつて、原告等は、いずれも右解雇によつて被告会社の従業員たる地位を失つていないものといわなければならない。
第四、賃金の支払
その方式及び趣旨によりいずれも真正に成立したものと認める甲第二号証の一、二によれば、原告並川及び同稲毛の昭和二五年一〇月三〇日以降、本件口頭弁論終結の日であることが当裁判所に顕著な昭和三五年五月二六日迄の給与額は、いずれも別紙賃金表記載の如き割合によるものであつたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。従つて、原告並川、同稲毛はその賃金を失うべき特段の事由の主張立証なき本件においては、右期間それぞれ別紙賃金表記載の割合による給与相当額の金員の支払を受くべき権利がある。
第五、結論
よつて、原告鬼頭の本件訴は不適法として却下すべきであるが、原告並川及び同稲毛の本件解雇の無効確認を求める請求及び金員の支払を求める請求は全部正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宮川種一郎 奥村正策 島田介)
(別紙省略)